2014/07/25
Il viaggio di MARCHE ’13 -21-

2013年のマルケの旅話。
前回の話はこちらへ。
ラファエロの生まれた街、ウルビーノ。
今日は、
そのラファエロの生家をご紹介します。矢印のVia Raffaello ラファエロ通り、
矢印から始まる坂道を上ってすぐ左。
見るからに急な坂道の途中に、
小さな入口。
そして、CASA NATALE DI RAFFAELLO
カーザ・ナターレ・ディ・ラファエロ、
と小さな表札。
ラファエッロの自画像入り
チケットを受け取り、
2階へ。
ラファエロの父、ジョヴァンニの銅像。
と、
ここからが紹介したいのに、
撮影禁止の為、写真はここまでです。
ここは、15世紀の館。
ラファエロの祖父が父を連れ、
一家でウルビーノに移住した1460年代に、
この家を買って、住みだしたそうです。
父のジョヴァンニは、詩人であって、
ウルビーノ公、
フェデリーコ・ディ・モンテフェルトロの
お抱え画家でもありました。
隣に住んでいた母マージャと恋に落ち結婚、
そして、ラファエロが誕生しました。
ラファエロがこの家で過ごしたのは、
14歳までで、
彼の作品はごくわずかですが、
当時の台所や、父の仕事場、
井戸のある中庭に、
両家の間を繋がる2階の通路など、
その当時を垣間見ることができます。
そして、唯一の本物の作品、
ラファエロが生まれたとされる部屋の壁に、
少年のころ描かれたといわれる、フレスコ画「 聖母子像 」。
この部屋だけ、
違う空気が流れているような、
一瞬、そんな雰囲気にとらわれます。
ここから、
あれだけスケールの大きな作品が
生み出されたとは、、、。
(自画像)
Raffaello Santi
ラファエロ・サンティ。
1483年生まれ。
父ジョヴァンニが50歳の時に、
生まれた一人息子。
裕福な家庭の中、
両親の愛を受けながらも、
1491年、ラファエロ8歳で、
母マージアが、
その後、再婚した父も、
ラファエロ11歳の時、亡くなり、
孤児となってしまいます。
父から受け継いだ芸術の血、
そして、母親への愛が、
素晴らしい作品を生み出した、
といわれます。
そんな彼の作品で、
フィレンツェのピッティ美術館に
飾られている、
小椅子の聖母
‘聖母の画家’として、
聖母マリアと幼子イエスを描いた
作品は数多く、有名です。
ヴァチカン宮殿の、
「 ラファエロの間 」の内の、
「 署名の間 」と呼ばれる部屋のフレスコ画、
聖体の論議に、
アテネの学堂
などなど、
ヴァチカン宮殿に行けば、
それは総代な作品に出会えます。
1520年37歳の若さで亡くなった、
『 ルネッサンスの天才画家 』
ラファエロ・サンティ
彼の遺言で、ローマのパンテオンに、
今も眠っています。
さて、このラファエロ通り、
本当に急な坂道でした。
振り返ると、
街の中心へと吸い込まれそうなくらい。
そして、この坂を上り切ったところの、
Piazzale Roma ローマ公園に、
ラファエロの像が建っています。
こうして、
ラファエロの生まれた街を訪れて、
ウルビーノからトスカーナ、
そして、ローマと暮らした、
彼のそれぞれの時代を反映した絵が、
以前より身近に感じれるようになりました。
また一つ、思い出の旅になりました。
さて、次回は、
ここウルビーノで、
福井のあの人と再開です。
お楽しみに!!!

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