Abruzzo & molise -23-
2017/03/27
‐スルモーナ その3‐。
今日は、スルモーナ旧市街地をご案内。
前回はこちら
観光案内所で教えてくれた見どころ。
引いてくれたピンクの線は、
街の中央のオヴィディオ通り。
ここを歩けば、
ほぼスルモーナを感じれます。

駅からタクシーでこの歴史地区に向かうと、

まず目に入ってきたのが、
この建物。
これは後ろ姿で、

正面がこちら。ロマネスク=ゴシック様式の、
カテドラーレです。
1294年、
半年で法王退位宣言をしたという、
聖チェレスティーノ5世が
地下に葬られています。

ちょうど、北に位置するこの大聖堂から、
街は南へと続きます。
大聖堂を出たら、木に囲まれた細長い公園を通り、
トレスカ広場に。
ここから、オヴィディオ通りが始まります。

OVIDIO オヴィディオは、
紀元前43年生まれの古代ローマの大詩人、
オヴィディウスのイタリア語名。
ここは彼の生誕地なのです。

「 スルモ我が祖国なり 」
-Sulmo mihi patria est-

スルモーナの紋章は、
このオヴィディオが言った言葉の
頭文字をつなげたSMPEがつけられています。

そして、しばらく歩くと、
またまた印象的な建物が。
これは、
パラッツォ・デッランヌンツィアータと呼ばれる、
ゴシックとルネッサンス様式が融合しているという、
16世紀の建物。
現在は市立博物館になっていて見学ができます。

その隣にあるのが、
教会です。
バロック様式の
コンプレッソ・SS・アンヌンツィアータ。
1320年に建てられたものですが、
1703年の地震で、
建て直されているようです。

この辺りは、街のちょうど真ん中。
隣には、Piazza XX Settembre、
9月20日と言う名の広場もあり、
詩人オヴィディオの像が
立っています。
そのままオヴィディオ通りを進むと、
今度は大きな門が現れます。ここは、13世紀に建てられた、
サン・フランチェスコ・デッラ・スカルパ教会の入り口。
1703年に起きたマイエッラ地震で、
奥の教会は倒壊してしまったそうですが、
このアーチだけは、無事、残ったということ。
下から見上げるこの見事な門は、
なかなかの迫力を感じました。
そして、その前には、
フォンターナ・デル・ヴェッキオ。
‘ヴェッキオの泉’。
ギリシャ神話に出てきそうな、
水道口のこの顔は、
スルモーナの創建者、
ローマ時代のソリモが描かれているとか。
このフォンターナに水を送る、
アクエドット・メディエヴァーレ、
‘水道橋’が続きます。
1256年に完成したゴシック様式。
こんなに身近に見れる水道橋は初めてです。
そして、このアクエドット横の階段を下りたところが、
大きなガリバルディ広場。
中央にはまだ200年前の
真新しい噴水があり、街の人たちの憩いの場に。
なんといっても、ここから眺める、
マイエッラ山魂のアマーロ山が素晴らしく、
自然の豊かさを感じました。

この日は金曜日で、
市場が開かれ、賑やかな広場。
カラフルに飾られた果物を見ていたら、
「 美味しいのよ。買わないの?! 」と
おばあちゃん。

さて、ガリバルディ広場から、
オヴィディオ通りの反対側に。
カルミネ広場の、マドンナ・デル・カルミネ教会も
あります。
そして最後に、オヴィディオ通りから、
プレビシート広場へ。ここも美しい建物でした。
大聖堂より威厳を感じた、
サンタ・マリア・デッラ・トンバ教会です。
ここは、なんとローマ神殿の跡地だそう。
建てられたのは1076年で、
もとは、ロマネスク様式も、
その後、幾度と改築され、
ゴシック様式やバロックと、
いろんな要素が混ざっていったそうです。

あっという間のオヴィディオ通り。
この通りの南端にある、
ポルタ・ナポリ、ナポリ門は
見逃してしまったけど、
中世の趣きを持ちながら、
古代ローマ時代まで遡る
歴史を持つスルモーナは、
穏やかな空気が流れた、
とても素敵な町でした。


この後、
もう一つ、素敵なところへ。
それは、トンバ教会の前の、
リストランテ。
次回にご紹介いたします。
ぜひ、お楽しみください!



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